東京高等裁判所 平成3年(う)812号 判決 1992年8月19日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中二五〇日を原判決の懲役刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人茅沼英幸名義(同内山成樹陳述)の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官江川功名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。なお、弁護人は、控訴趣意書第四章一ないし三の主張は、本件公訴の提起が公訴権の濫用により無効であるとの主張である旨釈明し、検察官は、右主張は理由がない旨述べた。
一 控訴趣意中、事実誤認を主張する論旨について
1 論旨は、以下のとおり主張する。すなわち、
原判決は、被告人が原審相被告人バパカイエ・サンデー・オプヨ(以下「オプヨ」という。)と共謀の上、ヘロイン一九七七・三三グラム(以下「本件ヘロイン」という。)を機内預託手荷物としたスーツケース内に隠匿してタイ王国バンコク国際空港から空路新東京国際空港に到着し、航空会社係員をして同スーツケースを機外に搬出させて麻薬である本件ヘロインを輸入し、被告人において同スーツケースを携帯して旅具検査を受けた際、本件ヘロインを発見されたため、輸入禁制品輸入の点は未遂に終わった旨の事実を認定した。
しかし、税関検査の際、本件ヘロインが発見されたスーツケースはオプヨの物であって、被告人は、旅具検査の直前、乗継ぎ便の状況を見てくるというオプヨから一時預かったに過ぎず、同スーツケースの中に本件ヘロインが入っていることは全く知らなかったものである。確かに、被告人は、オプヨとその仲間のヴィジェイ・ベデタ及びジェフリー・コスキーと共に米国からタイに渡航し、帰りの航空機でもオプヨと一緒になった。しかし、被告人のタイ渡航の目的は洋服の買付けであり、「ローゴールド」の買付けに行くと言うオプヨらとは旅行目的を異にし、タイでは、ホテルの部屋も別で、別行動をとったから、被告人自身がヘロインを購入していないことはもとより、オプヨが購入したことも知らなかったものである。
原判決は、旅具検査場での被告人の言動が著しく不自然で、被告人はスーツケースの中にヘロインが入っていることを知っていたことが推認されるというけれども、右は、被告人が犯人であるとの予断にとらわれ、被告人の話す英語を聴取する能力も十分でない税関職員である原審証人渡辺崇の信用性を欠く証言に基づく誤った認定である。
また、原判決は、被告人を有罪と認定するにあたり、被告人のタイ渡航目的はヘロインの購入にあり、被告人はタイのチェンマイでヘロインを購入しており、被告人からヘロインの米国への運搬を依頼されたことがあるなどとする原審証人ジェフリー・コスキーの証言を重視したものと思われる。しかし、同人の証言時の録音テープを聴くと、同人の証言態度は真摯なものでない疑いがあり、また、録音テープの同人の証言と公判調書の通訳された同人の証言とを対照すると、通訳された証言には随所に意訳に過ぎる部分があるので、通訳された同人の証言は信用できないというべきである。そうであるのに、原判決がこれを有罪認定の重要な根拠としたのは誤りである。
以上のとおり、被告人にはヘロイン輸入の犯意がなかったから、被告人は無罪であるのに、右犯意を肯認し、被告人を有罪とした原判決は、証拠の評価を誤り事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
2 そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、被告人は通関の際携帯していたスーツケースの中にヘロインが入っていることを知っていたとして犯意の存在を肯認した原判決は、その「事実認定の補足説明」の部分における説示を含め、正当として是認することができ、原判決に所論のような事実の誤認があるとは認めることができない。
所論にかんがみ、若干の説明を付加することとする。
(一) 税関検査時における被告人の言動等及び犯意について
(1) 原判決の認定について
原判決は、税関検査時における被告人の言動等から犯意を推認することができるとして、概略、以下のように認定判示している。すなわち、関係証拠によれば、被告人は、携帯品の検査に先立ってなされた税関職員の質問に対しては、他人から預かった携帯品はないと言っていたこと、開披検査は、紺色布製スーツバッグ、灰色布製スーツバッグ、茶色ビニール製スーツケース、黒色ビニール製ショルダーバッグ、最後に灰色布製スーツケース(以下「本件スーツケース」という。)の順に行われたこと、二番目の灰色布製スーツバッグの検査が終了したころから、被告人は、額などに汗をかき、態度に落ち着きがなくなり、やがて、自分は乗継ぎ客であり、これから午後五時の出発便に搭乗するので、早くして欲しいとの申し入れをしてきたこと、しかし、午後五時出発の便には被告人の搭乗予約はなく、時間的にも、もはやその便に搭乗するのは無理な段階であったこと、税関職員が本件スーツケースの開披を求めたところ、被告人は、初めはそのジッパーに付いている錠の鍵がないと言っていたが、そのうち錠を解き、同スーツケースを開いたこと、被告人は、同スーツケースを開くと、異常に興奮した様子で、検査をさせないように自ら中身を取り出して床の上に投げ出すなどの挙に出たこと、税関職員がその中の紙袋を手に取ると、被告人はこれを税関職員の手から奪い取って同スーツケースの中に戻し、同スーツケース及びその中の物は総てオプヨの物であると言ったこと、右紙包みの中身は本件ヘロインであったこと、同スーツケースの中には、被告人のスーツも入っていたが、被告人は、その点について、これは税関職員が間違えて同スーツケースに入れてしまったものであると主張したこと等の事実を認定することができ、これらの事実によれば、被告人は本件スーツケースの中の紙袋の中身が本件ヘロインであることを知っていたものと推認することができる、というのである。そして、原審証人渡辺崇、同小林英行及び同園川峰紀の各証言その他の関係証拠を総合すると、原判決がした税関検査時における被告人の右言動等の認定は、いずれも正当として是認することができ、右各事実によれば、被告人は、本件スーツケースの中の紙袋の中に本件ヘロインが隠匿されていることを知っており、その発覚を免れるため、税関職員による検査を回避しようと試みたが、それが功を奏さないとみるや、本件スーツケースはオプヨの物であり、その中身については自分は関知しないとの態度をとるに至ったものと解するよりほかないのであって、被告人の前示言動等から、犯意の存在を推認した原判決の判断は正当である。
(2) 所論の指摘する個々の論点についての検討
ア 所論は、被告人が税関職員に対し、乗継ぎ便の出発時刻が迫っていると言ったとの原判決の認定が不合理であるとして、以下のように主張する。すなわち、被告人は日本に暫く滞在するつもりで、九〇日間の入国許可を得、パスポートにはその証印が押捺されており、また、午後五時の出発便の予約もしていなかったのであるから、税関職貝に対し、乗継ぎ便の出発時刻が迫っているというようなことを言う筈がなく、また、仮に、被告人が犯人であるとしても、簡単に嘘と分かり、かえって怪しまれる結果となってしまうようなことを言う筈がないなどというのである。
そこで検討するに、被告人が真実日本に暫く滞在するつもりであったか否かはともかく、被告人のパスポートに所論の入国許可の証印が押捺されていたこと、被告人が午後五時の出発便の予約をしていなかったことは関係証拠上明らかである。そこで、もし被告人に税関検査を回避する意図がなかったとすれば、出発便の時刻が迫っているというような嘘をつくことはなかったであろうことは所論のとおりである。しかし、それは被告人が犯人ではないとの仮定に立脚した議論に過ぎない。逆に被告人が本件スーツケースに本件ヘロインが入っていることを知っていたものとすれば、税関検査によってこれが発覚することを免れるため、虚言を弄してでも検査を回避しようとすることは十分考えられるところである。殊に、被告人が航空機の出発便のことを言い出したのは、検査が進行し、その検査の仕方が慎重なこととも相侯って、このまま検査に応じていたのでは、やがて検査が本件スーツケースに及び、ヘロイン携帯の事実が発覚するのは必至とみられる段階に至ってのことであったこと(前記原判決認定事実及び原審証人渡辺崇の証言により認められる。)に徴すると、被告人としては、税関職員に調査されればたちどころに嘘と分かる危険を冒してでも、検査を回避するため、敢えてそのようなことを言う必要があったものと考えられる。すなわち、被告人が乗継ぎ便の出発時刻が迫っていると言ったとの認定が不合理であるとの所論は、いずれにしろ理由がない。
なお、被告人は、乗継ぎ便の時刻のことは口にしたが、それは、オプヨのこととして言ったものである旨弁解するけれども、右渡辺証言等に照らして、にわかに措信し難い。
イ 次に、所論は、以下のように主張する。すなわち、原審証人渡辺崇は、被告人が本件スーツケースのジッパーの錠を開き、異常に興奮した様子で、渡辺崇に検査をさせまいとするかのように、中のものを床の上に投げ出すなどした旨証言し、原判決は同証言に従って同様の事実を認定したが、実際は、同スーツケースのジッパーの錠は、渡辺がペンチで開いたものであるから、これを被告人が開いたとする同証人の証言は信用できず、したがって、これに基づき被告人の検査妨害の事実を認定した原判決の認定は誤りであるというのである。
そこで検討するに、原審証人渡辺崇は、被告人が鍵がなくて開かないというので、ペンチを三本持ってきて、被告人に対し、それで開けるように促したことは供述しているが、自らこれを解いたことは明確に否定していること、そして、渡辺が、被告人に解錠させないで、自らペンチで鍵をこじ開ける必要があったことを窺わせるような状況は認められないこと、本件スーツケース(当庁平成四年押第一二三号符号18)のジッパーに付いている錠には、ペンチでこじ開けたことを窺わせるような痕跡は認められないこと、被告人の携帯していた灰色布製スーツバッグの外側ポケットに収納されていた茶色革製手提鞄の中から右錠の鍵が発見されていることなどに照らすと、本件スーツケースのジッパーの錠は被告人が鍵で開いたに相違ないとする右渡辺の証言は十分信用することができる。そして、同証言その他の関係証拠によれば、被告人が錠を解いて同スーツケースを開披し、異常に興奮した様子で、中のものを床に投げ出すなどして検査を妨害したと認定した原判決の認定は正当として是認することができ、これに反する被告人の大蔵事務官に対する平成二年五月三〇日付及び同年六月七日付各答弁調書、被告人の検察官に対する供述調書並びに被告人の原審公判廷における供述はいずれも信用できず、所論は採るを得ない。
ウ また、所論は、以下のように主張する。すなわち、被告人の携帯品の検査を担当した渡辺は、被告人が鍵を使って本件スーツケースのジッパーの錠を開くのを現認していないのに、報告書中で「鍵で開けた。」と記載していることなどからすると、渡辺は、被告人が犯人であるとの予断と偏見に基づいて被告人の言動を観察していたというほかなく、したがって、渡辺の証言中、検査の途中で被告人が額などに汗をかき、その態度に落ち着きがなくなったと供述している部分などは信用できず、また、渡辺の英語力に疑問があることや被告人の英語が大変分かりづらいことから判断すると、渡辺の証言中、被告人は検査開始の当初は他人からの預かり物はないと言っていたのに、後になって、本件スーツケースはオプヨのものであると言い出したなどという部分は、渡辺が被告人の言ったことを正解していたか否かに疑問があり、信用できないから、右証言に基づいて同様の事実を認定した原判決の認定は誤りであるというのである。
そこで、検討するに、原審証人渡辺崇の証言によれば、渡辺は、被告人が本件スーツケースのジッパーの錠を鍵を使用して開くのは現認していないけれども、被告人が錠を解いた時、ペンチを使っていなかったことは現認しており、後に被告人の携帯していたバッグ中から鍵が発見されたことも伴せ考えて、被告人は錠を鍵を使って解いたものと確信しており、所論指摘の錠の解き方に関する各報告書及び公判証言間での表現上の差異は、渡辺が判断した結果を記載したか、現認した事実そのものを述べたかに由来するものであって、その間に実質的齟齬はないことが認められる。そうすると、被告人が錠を鍵を使って解いたとする渡辺の供述の齟齬を根拠に同人の証言の信用性を争う所論は理由がなく、所論のような事実の誤認があるとは認めることができない。
次に、渡辺の英語力と被告人の英語の分かりづらさを立論の根拠とする所論については、両者間で交わされた会話が通関業務の中で通常交わされる型通りのものであり、現に、渡辺は、被告人の言うことを理解して対応していること、渡辺は昭和六二年七月から本件時まで約二年一〇か月間旅具検査に携わっている者であること等にかんがみると、渡辺が所論の危惧するような誤解をしたとは到底思われず、所論のような事実の誤認があるとは認めることができない。
エ 更に、所論は、原判決が、被告人は、税関職員から本件スーツケースの中に被告人のスーツが入っていた点を追及されるや、それは税関職員が誤って入れたものだなどと声高にまくしたてた旨認定し、これを被告人の不審な言動として挙げているのは、信用性のない税関職員の証言に基づくものであって、誤りである旨主張する。
しかし、原審証人渡辺崇、伺小林英行及び同園川峰紀の各証言を総合すれば、渡辺は、開披検査に当たり、一つのバッグの検査が終了すると、これを閉じ、次のバッグに進むようにしたので、検査の段階で、別のバッグに入っていた被告人のスーツが本件スーツケースに紛れこむようなことはなかったこと、それにもかかわらず、被告人は、検査室で税関職員である園川峰紀らから、本件スーツケースの中に被告人のスーツが入っていた点を追及されるや、それは税関職員が誤って入れたものだなどと主張して譲らなかったことが認められ、これに反する被告人の捜査段階及び原審公判廷での供述はにわかに信用し難い。してみると、被告人の右言動は、本件スーツケースとの関わりを否定しようとして虚言を弄したものとみるよりほかないのであって、この点に関する原判決の認定判断に誤りはなく、所論は採るを得ない。
オ そのほか、所論が縷々主張する点について検討しても、税関検査時における被告人の言動等についてした原判決の認定に所論のような事実の誤認があるとは認めることができない。
(二) 原審証人ジェフリー・コスキーの証言について
(1) 同証人の証言態度の真摯性を問題にする所論について
右所論について検討するに、原審第六回公判調書中証人ジェフリー・コスキーの供述部分を通覧すると、同証人は、被告人とオプヨの罪責の軽重を問う質問に対しては、若干言い淀む傾向がないではないが、総じて、質問に対し、記憶に基づき素直に淡々と応答していることが窺われる。そして、もし、所論のように、同証人の証言態度に問題があったならば、それを是正しようとする尋問者の発問やそれに対する証人の応答等がある筈であるが、同証人の証言調書中には、全くそのような部分はない。一方、所論によれば、同証人の証言の録音状態は不良とのことであり、そのような録音から、たやすく同証人の証言態度の真摯性まで正しく判断できるかどうか疑わしいものといわざるを得ない。そこで、これらの点に照らすと、所論は根拠がないというべきである。
(2) 通訳の正確性を問題とする所論について
所論は、原審証人ジェフリー・コスキーの証言の録音テープと同証人の証言調書とを対照した結果、同調書中、意訳に過ぎる部分ないし誤訳の疑いがある部分として二〇箇所の質問応答部分を指摘する。そこで、所論の指摘を個別的に検討してみるのに、その指摘は、<1>証人の応答は、イエスあるいはノーと言っただけであるのに、イエスあるいはノーの意味するところまで通訳している部分があるというもの、<2>質問に対する証人の応答が不十分な場合には、不十分な応答をそのまま通訳すべきであるのに、通訳人が独自に発問し、尋問者の質問に対応する応答を引き出した上、応答を纒めて通訳している部分があるというもの、<3>録音テープでは、短い応答に止まっているのに、纒まった応答がなされたことになっている部分があるというもの、<4>単に意訳であるとの指摘の域をでないもの、<5>質問の英訳及び応答の日本語訳が元の質問や応答から少々外れている部分があるというもの、<6>録音テープの聞き取り不能部分を推測で補った上、誤訳の疑いがあるというものなどであって、要するに、所論の指摘は、<6>を除き、意訳に過ぎるなど通訳に適切を欠く部分があるとの指摘に止まっており、また、<6>の指摘も、誤訳と断定するものではない。そして、所論指摘の通訳部分に、誤訳や通訳人の誤った思い込みが紛れ込んでいるようなことはないかを検討してみるのに、所論指摘の部分は、いずれも、その前後の質問応答内容と調和する内容であって、違和感を与えるようなものではない。また、被告人のタイ渡航目的がヘロインの買付けにあったことや被告人がチェンマイでヘロインを購入したこと、ジェフリー・コスキーが被告人及びオプヨから数回にわたってヘロインの運搬依頼を受けたことなど、被告人のヘロインへの関与を示す重要事実については、所論指摘部分以外でも同様の質問と応答が繰り返されており、これらとの間にも矛盾はなく、誤訳の疑いは否定されるべきである。所論は理由がない。
(3) 原審証人ジェフリー・コスキーの証言の信用性等について
同証人の証言の信用性について検討するに、<1>同証人は、米国において自己の罪責を認めた上で証言したものであって、その証言内容の如何が自己の刑責に影響を及ぼすという立場にはないこと、<2>被告人及びオプヨとは特別の利害関係もないこと、<3>同証人の証言は、客観的証拠から明らかな被告人及びオプヨらの航空機利用の状況やタイでの滞在日程等とよく符合していること、<4>前記のとおり、その証言態度にも何ら疑問の廉はなく、誤訳の存在も否定されることに照らすと、同証人の証言の信用性は高いというべきである。また、同証人の証言後、オプヨがタイ渡航の目的がヘロインの買付けであったことやチェンマイでヘロインを購入したこと等の不利益事実を認めるに至ったことも、同証人の証言の信用性の高さを示しているというべきである。それ故、原判決が、同証人の証言並びにオプヨの原審公判廷での供述中、同証人の証言及び客観的事実に副う部分の各信用性を肯定し、これら及び前記被告人の税関検査時における不自然な言動等を総合して、被告人の犯意を認定したことは正当として是認することができる。一方、被告人の弁解は、被告人ら四名で連れ立って米国を出発したこと、チェンマイに行ったこと、その時の同行者の顔触れ、税関検査の際、税関の係員が手にしたヘロインの入った紙包みを取り戻したか否かなどの点で一八〇度の変更がみられるなど一貫性に欠ける上、タイへの旅行目的の点など、内容的にも不合理であること、前記信用すべき証拠とも相反することから判断して到底信用することができない。
以上のとおり、事実誤認を主張する論旨は理由がない。
二 控訴趣意中、公訴の提起が無効であるとの論旨について
論旨は、要するに、本件公訴は、被告人の弁護人選任権の侵害、暴行による自白の強要等の憲法違反の捜査に基づき提起されたものであり、公訴権の濫用により無効であるので、原判決は刑訴法三七八条二号により破棄されるべきである、というのである。
そこで、検討するに、被告人は、被告人作成の控訴理由説明書と題する書面において、被告人は、弁護人の選任を希望し、捜査官に対し、弁護士の電話番号を示して連絡を取ってくれるよう依頼したのに、捜査官は、被告人の右申し出を拒否し、その後、私選弁護人を選任するのに必要な書類と偽って日本語で書いてある書類に署名指印させた上、弁護士に連絡をしておくと言いながら、これをせず、被告人の意に反して国選弁護人が選任される結果を招来したり、侮辱を与えたりした旨述べ、また、当審公判廷において、成田の警察署では捜査官が殴ったり蹴ったりしたなどと供述している。
しかし、原審記録によれば、被告人は、原審段階では、そのようなことは全く供述しておらず、一年間に及んだ原審の審理期間を通じて、被告人が私選弁護人を選任していないことが明らかである。また、被告人は、警察で受けた違法・不当な扱いとして、右のほか、警察官から、三〇〇〇ドル現金を用意すれば釈放してやると言われたとか、取調官から、被告人が黒人であることを加味し、被告人が一〇年の刑になるよう検察官に勧告するつもりだと言われたなどと、到底実際にあったことを述べているとは思われないようなことを述べている。そして、被告人の捜査段階における供述を録取した各書面における被告人の供述を吟味すると、いずれも、被告人が自由な意思で容疑を否認していることを窺わせるものとなっている。そこで、これらの諸点に照らすと、所論に副う被告人の右供述は全く信用できず、本件捜査の過程において、所論のような違法が存したとは認めることができないから、所論は、その余の点について判断するまでもなく、採るを得ない。論旨は理由がない。
三 量刑不当を主張する論旨について
論旨は、予備的に量刑不当を主張するというものであるが、本件が営利を目的とした約二キログラムにも及ぶ大量のヘロインの密輸入事犯であること、犯行態様が大胆であること、被告人が、税関職員やオプヨ及びジェフリー・コスキーの供述中、被告人に不利な内容のものは総て虚偽であるとして、否認の態度に終始し、反省の態度も窺われないことに徴すると、被告人の刑事責任は重大である。してみれば、本件ヘロインは総て税関で発見・押収され、社会にその害悪が拡散されることはなかったこと、被告人に前科はないこと、被告人の健康状態が必ずしも万全ではないこと等、被告人に有利な諸事情を十分に斟酌しても、被告人を懲役一〇年及び罰金一八〇万円(換刑処分は金五〇〇〇円を一日に換算)に処した原判決の量刑は、やむを得ないものであって、重過ぎて不当であるとまではいえない。論旨は理由がない。
四 没収の根拠規定について
原判決は、本件ヘロイン(前同押収番号符号1ないし10)を没収するにあたり、平成二年法律第三三号による改正後の麻薬及び向精神薬取締法六九条の三本文を適用しているけれども、本件は、同改正法の施行期日である同年八月二五日より前である同年五月二二日の犯行であるから、同改正法附則五条により同法による改正前の麻薬取締法六八条本文を適用すべきであったものであるが、営利目的で輸入された麻薬である本件ヘロインの没収に関する限り、没収の要件及び効果は、右改正の前後で何ら変更はないから、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。
五 結論
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中二五〇日を原判決の懲役刑に算入し、当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。